私ごとで恐縮ですが私は一度魚屋をやめています。
14年ほど働き続けてきたスーパーの鮮魚の仕事を辞めているのです。
結論をいうと現在水産のバイヤーをやっているので結局また魚屋に出戻ったということになります。
ここに至るまで紆余曲折がありましたが仕事を辞めると決断することはなかなかの重い判断でした。
当時はやはり仕事のこと、家族のこと、自分の将来のことなど考えると不安で毎日悶々としていました。
ただ辞めると決断できた最大の理由は大義名分ができたということでした。
この大義名分があれば仕事辞めるという判断ができるということがわかったのです。
その大義名分をどうやって考えたらいいかについては一言では言い表せないと思います。
それでも今まさに魚屋をやめようと思っている人たちの参考になれば幸いです。
魚屋をやめた理由
なぜ魚屋をやめたのか?
別に魚屋が嫌になってやめたわけではありません。
単純に魚屋の指導者になろうと思ってやめました。
もちろんなれるかどうかはそのときは未知数でした。
ただそれだけではない理由もありました。
- 会社の経営者が変わって方針も変わってしまった
- もともと働く場所は地元にこだわらなかった
- 辞めるときの大義名分があった
少し説明させていただきます。
会社をめぐる環境の変化
私が所属していた会社はCGCグループの老舗企業ということで鮮魚がかなり強いのが特徴のスーパーでした。
全盛期はバブル期ごろで、かつてはすごい会社でした。
ただ悪くいえば旬を過ぎた会社と表現になるかもしれません。
当時は優秀なリーダーシップを持った経営指揮官(オーナーでない)がいて敏腕を振るわれていました。
それはすごい食のプロと言えるほどの人で会社もまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
心底スゴいと思える人でした。
私もその人のもとで生鮮食料品とは何たるかを教えてもらいながらしばらくバイヤーや店長などをやらせてもらっていました。
ただその会社には論理的に物事を考えられる人や体系的に仕組みを組み立てられる人は皆無でした。
まあ、当時のスーパーマーケットというものは一部を除いてそんなものという時代背景もありました。
学生時代から法律を専攻していて論理的な思考ができる私はその意味で重宝されました。
ただそのうちそのリーダーがオーナーとの確執でその会社を去り潮目が変わり衰退していきました。
よくある会社のストーリーです。
リーダーが辞めた後会社経営の方針もグルメ志向から価格志向に変わりちょっとつまらないと思っていました。
追い打ちをかけたのは私の待遇を下げてきたことです。
要は給料下がる仕事に移動させられました。
いろいろ意見や体制批判をする私を新経営陣は快く思っておらず、ある意味当然の流れでした。
別にサラリーマンだからといって組織や体制に批判してはいけないとは思っておらずそれを懐柔できない器の小さい人たちには会社を大きくするのは無理だろうと思っているのでそれならそれでしょうがいないと思っていたわけです。
必要とされなければいる必要もないので出るだけですから。
コレで辞める決意をしました。
地元定着にこだわりはなかった
私の場合住む家はともかく働く場所はどこでも気にしないです。
単身赴任でもいいなと思ってました。
むしろいろんな土地で仕事がしたいと思ってました。
ただ後で考えると帰省や不幸があったときのことを考えるとあまり遠いところは辛いと思うようになったのは注釈入れておきます。
魚を捌く仕事なら全国を探せばいくらでもあると思っていました。
これもやめる勇気につながったと思います。
みなさんこうは簡単にならないのかもしれませんがここを割り切らないとなかなか辞めづらいです。
辞めるときに大義名分が必要
辞めるにしても大義名分が必要だと思います。
その時私は鮮魚のコンサルタントをするからということで辞めることにしていました。
おそらく他のスーパーに移りたいという理由だけだったらいい関係で辞めれなかったと思います。
就業規則などに同一地域の同業他社についての記述がある場合もあるので辞めようとする人は確認しておいた方がいいです。
実際労働者レベルでその規則を根拠に損害賠償されたという話は聞いたことないですが念のための確認しておいてください。
辞めた後の仕事
辞めた後は東京の食品卸の営業の仕事につきました。
就職した経緯は割愛させていただきます。
カリスマ社長のいる会社でそこで営業しながら経営コンサルタントの勉強をしようと思ったわけです。
もちろん何年もかかかる話で自分としてはじっくり腰を据えそのカリスマ社長の手腕を見ながら食品のプロになろうと思っていました。
しかし結局そこは1年ほどで辞めることになりました。
挨拶などの礼儀作法も思っていた以上に厳しい会社でした。
会社同士の付き合いというものがそれだけ張り詰めた緊張感の中にあるのだとはじめて理解しました。
一つの契約で数千万とか1億円とかになるわけですからビビりますね。
また営業という仕事もなかなか難しいものだなと痛感しました。
同僚の人などの仕事ぶりを見てもやはり何か秀でたものと持ってないと成果に結びつかない感じでした。
40歳過ぎての畑違いの転職は正直体がついていかないかったというのが本音です。
本当にいい勉強をさせていただいたと思っています。
せっかくいい環境を作ってくれた社長はじめ関係各所の方には非常に申し訳なかったと思います。
指導係になってくれた当時20代の女性も40歳過ぎの素人のおっさんに手を焼いていたと思いますが本当に大変だったと思います。
ただ自分では限界というのとやはり日本海の雪が恋しいのとで金沢に帰りたくてしょうがなくなったのです。
今回の件ではもらうばかりで貢献できなかったのが非常に心残りなのでこれから機会を見つけて恩返ししたいと思っています。
辞めたが結局同じ職種に戻った理由
こんな感じで辞めることになりましたが、結局今は前と同じ業界の仕事をしています。
自分でも決意して辞めたはずなのになんでスーパーに戻っているんだろうと思ったりしています。
振り返ってその理由を考えるとやはり本質的な問題がありました。
なので今まさに辞めようとしている人にヒントになればということで解説させていただきます。
- やっぱり魚を売ったり捌くことが好き
- 特定の人だけに頭を下げたくない
- ミスしても金額が小さい
- 自分を必要としてくれるスーパーがあった
ここも少し解説します。
やっぱり魚を売ったり捌くことが好き
魚捌いたり売ったりする仕事はやはり楽しいです。
このお店の魚って鮮度いいし美味しいよなんて感謝されれば本当に役に立ってる充実感があるものです。
それは普段は気付きませんが辞めると本当にそう思いました。
また魚を捌くのは難しいですが技術を持っている人からすると簡単です。
変な話こんな簡単な仕事でお給料もらえるのは非常に嬉しいものです。
特定の人だけに頭を下げたくない
スーパーの仕事は基本的に不特定多数の人を相手にします。
もちろん常連さんとかはいますがそれでもあくまで一般のお客さんが対象です。
相手の嗜好にそこまで強制されたりません。
これが心地よく自分にあうと思いました。
例えば営業職になると取引先担当者という特定の対象がいます。
その人の意に介さないと数字が上がりません。
営業の人からするとそんなもんだよということでしょうが今まで不特定多数のお客さんに慣れている私にはどうしても馴染めませんでした。
これは営業の仕事が悪いとかいう話ではありません。
その人が経験してきたやり方がなかなか変えられないということを言いたいだけです。
しかしながらこれが意外と辛かったというか全く体に合わなかったです。
質の悪い取引先だとその担当者のわがままレベルのものでもこっちはちゃんと対応しなければいけないのかと思ったほどです。
これはバカらしい、やってらないと思いました。
ちゃんとした会社はちゃんとしてますが。
このような対応を自分はしてはいけないという反面教師にもなりました。
ミスしても金額が小さい
商売の規模からすれば魚屋は小さいと思います。
一回の取引で数百円がいいところです。
アジサバおろすのを失敗したところでたかが知れています。
別で回収できます。
ところが一つの取引金額が大きくなるとちょっとしたミスも許されません。
自分が責任取れる立場にあればリカバリも容易いでしょうが一担当者でしかなければ責任取りきれません。
結果上司や会社から非難轟々の叱責を受けます。
実際はそんなことありませんでしたが上司が許しても他の同僚の目がキツかったりすることを考えてもいきた心地しません。
みなさんも多かれ少なかれをそんな思いの中でお仕事されているのでしょうが、自分にはやはり合わないと思いました。
100円、200円の魚を売っている方が本当にいいな思いました。
自分の責任の取れない大きなお金は触りたくもないです。
この考えはダメなんでしょうね。
ミスしない仕事をすればいいでしょうって言われそうです。
自分を必要としてくれるスーパーがあった
まあ、これもタイミングなんでしょうがたまたま地元で自分を必要としてくれるスーパーがあってそこから声がかかったのです。
そのころ会社では針のむしろ状態だったのでその話にノルことにしました。
きっかけはこのブログだったのもなんか運命的なものを感じました。
当時からこのブログをやっていましたから。
それにしてもありがたかったです。
本当はもう少し我慢すれば次の視野が開けたかも知れませんが自分には限界でした。
そんなことで再びスーパーの仕事に戻ったわけです。
魚屋をやめたほとんどの人が魚関連の仕事に戻る
他の人の事例を見てもほどんどが似たような業種の関連したところでへ転職しています。
私の場合は魚小売りをやめてまた魚小売りに戻りましたが市場関連やトラック運転手になった人もなんだかんだいって魚関係の仕事になっています。
おそらく「つぶし」が効かないんだと思います。
他の業界で一からやるのは大変ですから。
最後に
つくづく思うのは辞めても結局同じ業界に戻るんですね。
私だけでなく、他の人もほとんどそんな感じです。
とするとその業界での評価はついてまわります。
なので辞め方含めスジの通る形をしてきてないと業界での評判は低いと思います。
その意味で今しっかりやれていないければ結局ダメなんだと思います。
私自身も営業職にはもうなれないと悟りました。
この業界で生きていくことにしました。
ツブシがきくうちはいろんなチャレンジした方がいいということはこういうことだったんですね。
もちろん辞めた時の大義名分は今でもまだ捨てていません。
<終わり>
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